県議会議員の皆様へ

北区の受任者の方から、県議会議員の皆様に伝えたいとメッセージを預かりました。

承諾を得ましたので、以下に載せます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


中部電力浜岡原子力発電所の再稼働の是非を問う県民投票条例案の目的と趣旨について

 昨年の東日本大震災により、福島第一原発事故が起きました。事故原因が追求される中、事故は人災であった側面が強いと位置づけられるようになりました。人災の要因は何か。大きな要因の一つは、国民一人一人が「原発」に無関心であったことと私は考えます。私も何となく「原発」は安全なんだというぐらいの認識しかありませんでした。事故の責任は私達一人一人にあると思います。それはすべての人が背負わなければなりません。これからの「原発」について真摯に考え、未来への道筋をたてること。それが「フクシマ」の責任を取ることだと私は思います。なぜ「原発」に対して無関心だったのか、一つは考えてもそれが結果として表れなかったからだと思います。今、巷では原発に対して賛成、反対、わからないという声が上がっています。「原発」に対して多くの人が関心をもっている望ましい状態です。しかし、今回署名を集めていて気がついたことは、自分たちには関係ないという人も数多くいることです。それが最も辛かったことです。その現状を打破し、より多くの人が真摯に考える機会が必要だと改めて思いました。賛成であれ、反対であれ、自分の意思をあらわせるぐらい真剣に考える。それが今できる私たちの「フクシマ」に対する責任なのだと思います。


 現在の日本の政治は間接民主主義で動いています。複雑多岐に渡る問題が山積する中で一人の代表者を選択することはなかなか難しいです。現在、野田首相が日本のトップとして政治を動かす立場にいます。しかし、その方向性は民主党が政権を取った時とは違うことは誰の目にも明らかです。間接民主主義の弱点を痛感します。一部の人だけの判断(政治家はもちろん国民の投票で選ばれているわけでどんな物事も間接的に民意が反映されているわけではありますが)で物事が進んでいくことは、閉塞感を生みます。個人で考えたり、声を上げても物事が動かなければ、諦めや無関心につながります。諦めや無関心が一番危険であることは今回の原発事故の一番の教訓ではないでしょうか。声の届かないことによる無関心の構図は原発問題に限ったことではなく、すべての問題に当てはまると思います。今回のように一原発の再稼働を法的な効力はないにせよ県民条例で県民の意思を表わす機会を作ることができるというのは、これまでの政治を変える要素を含んでいるかもしれません。賛成の人も反対の人も考えがまとまっていない人もより真剣に考えるきっかけになると思います。もし、このような取り組みがうまくいき、全国的にも認知度が広がれば、重要なことは国民自身の意思を直接的に反映させようという土台になるかもしれません。

 代議制の弱点を直接民主制である県(住)民投票という形で補い、原発に賛成の人も反対の人もわからない人もどうするのが最善なのか、一緒に考えることが出発点で最も大事なことではないでしょうか。どのような立場の人にとっても県(住)民投票の実施は有意義な機会になるはずです。民意が反映される機会があれば、必ず皆が真剣に考えるでしょう。関心を持つこと、知ろうとすること。無関心にならないために県(住)民投票を実現させることは意義深いと思います。

 今回の条例案は浜岡原発の再稼働の是非に限ったものではありますが、それは日本のこれからのエネルギー問題につながり、政治のあり方にもつながってくるものだと私は考えています。条例案の細かい部分について実現のために難しい壁があるようでしたら、修正も可能だと私は思います。浜岡原発や原発問題を含めたこれからの日本のエネルギー政策について真剣に考えている一人一人の思いを受け止めてもらえるようお願いいたします。

        浜松北区受任者
          西山俊太郎 
                                      


同じカテゴリー(メッセージ)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
県議会議員の皆様へ
    コメント(0)